【 愛着に不安を抱えるあなたへ <ジョン・レノンの人生に学ぶ> 下積み時代〜熱狂の時代 編 】 〜 愛着の「不安と依存」について & あなたが「本当の人生」に出会うヒント 〜
2026.8.21 New

<ザ・ビートルズ:下積み時代から熱狂の時代へ>
Contents
ザ・ビートルズという「夢の実現と疑似家族」そして、アディクションへの光と影
*夢を共有した同志というバンドファミリー*
・1960年5月から、下積みバンド活動が始まります。
:ジョンにとってビートルズというバンドは、
単なるビジネスや音楽グループではなく「夢を共有した同志」であり、
「自分が人生で得られなかった、壊れない仲間(家族)」そのものと言えるでしょう。
:学生の頃は家族より仲間達のつながりが優先されたりしますよね!
「同じ釜の飯を食った」と良く言いますが;そんな同志ファミリーでしょうね。
◉ジョンは3人の「天才的な才能を感じ尊敬できるパートナー」と出会う。
1)一人目は、ビートルズの前身の学生バンド:クォーリーメンの時に、
人生を大きく変える出会い=ポール・マッカートニーという才能豊かな同志との出会いですね!
:「母親を亡くした」という同じトラウマを持つ友であり、
自分よりギターが上手く、歌唱力もある「こいつやるな!」という後輩でした。
<ポールがジョンほど不安定な愛着障害でなかった理由>
:ポール14歳の時に母メアリーは病死(乳がん)します。
自我が目覚める中2くらいの子供なので、とても喪失感の悲しみで一杯だったでしょう。
:ですが、母が亡くなるまでは愛情深い家族(安全基地が保たれた)に育てられてきたのと、
父が真面目な人で、ポールは父と一緒に、弟の面倒を見ることをしていた。弟とは仲が良いですね。
(;人のお世話や、ペットの世話などをすると、愛着が育つとも言われています。)
弟の世話をしたことで、のちにリンダのつれ子のヘザーを、実の子供のように可愛がったし、
実の子供たちとも仲の良い親子関係が築かれています。
:ポールは安定型に近いタイプと思われます。
>ジョンもポールも音楽に熱中し世の中に出ていくのですが;
・ジョンは不安定型の不安感を見られないように皮肉を交えたジョークを飛ばしツッパリ、その反面心の内面を育て、その才能を自己主張をしながら世渡りをして、
・ポールは完璧主義的なので、好きなことにいっぱい努力もして、自信を持って才能を育て、安心して世渡りしてきた。
=なんとなくこんな感じ?
そこは音楽性の表現の違いに表れている気がしますよね。
<その 二人の天才が、寝食を忘れて音楽に没頭したことは、最高に健全でクリエイティブな結びつきでした。>
2)アートの才能が豊かで、クールでかっこいい美術学校の親友:チュアート・サトクリフ

:8月に初めてのハンブルグ遠征の時に、美術の話ができる一目置いていた;
:「アートの才能が豊かな美術学校の親友:チュアート・サトクリフ」を、
楽器が全く弾けないのに「クールでかっこいいので絵になる」という理由で、
バンドになかったベースとして強引に加入させたエピソードから、
親友への独占欲も感じます。
3)「天才的な才能を感じ尊敬できるパートナー」は、
のちに出逢うオノヨーコさんとも共通しています。
(詳しくは;次回のブログに書いています)
バンドというファミリーも「健全で建設的なアディクション」と言えます。

ハンブルグへ初めての遠征が、バンドを育てるが? BUT?。。。
*これに対し;アルコールやたばこ、そして麻薬への「依存」の始まり。
「アルコール」は10代中頃のクォリーメン時代からで、
ジョンはビールコップ半分で酔っ払うほどお酒に弱い人で、酒癖が悪かったようです。
・「薬(この時は興奮剤(覚醒剤の一種))」は、初めのハンブルグへ行ってから。
:過酷な演奏時間をこなすため、眠気覚ましと体力維持の薬として(オーバードーズ)、
ウエイターなどから進められたのが始まりのようです。。。
:演奏中にお客に絡まれたり暴れて喧嘩もあったと。。。
<初遠征当時の各メンバーの年齢>
ジョージ・ハリスン :17歳(1943年2月生)
ポール・マッカートニー :18歳(1942年6月生)
ピート・ベスト(ドラム):18歳(1941年11月生)
ジョン・レノン :19歳(1940年10月生)
スチュアート・サトクリフ(ベース): 20歳(1940年6月生)
(:ジョージは当時、まだ高校生だったので強制送還させられることに)
この後:
・64年にボブ・ディランから紹介されて;大麻(マリファナ)を。。。
・65年歯科医のパーティでジョンとジョージはお茶にLSDを知らずに盛られた体験から、、、。。。
・解散前後ジョンとヨーコは;ヘロインに手を出す。。。ヘロイン中毒に。。。
・タバコは4人とも:ジョージの死因は咽頭癌、肺がんで「喫煙が〜(;_;)」涙。。。
・リンゴ夫妻も、アル中で一度入院してます。。。
▶︎「過酷な演奏を維持するため」でしたが;
:心の奥に無意識的に存在している癒えることのない「心の痛み:孤独や不安感」を、
ごまかし麻痺させるものに溺れていった面もあるかと思われます。
=アルコールや麻薬は;自分を「破壊するアディクション(破壊的依存)」と言えます。
(60年代は、規制が緩くミュージシャンの間では、マリファナや薬物に手を出す人がとても多かった時代)
*幼少期から少年期のジョンの体験を書いてきましたが、
とても過酷で辛い経験だった影響からか「依存症」に、とても苦しむことになります。
ですが、
治療をしながらですが、、、破滅的な人生に向かわずに、
音楽とバンド仲間に出会い創造の世界へ邁進したことは本当に良かったですね!

<1回目の👇ブログをご参照ください>
【 愛着に不安を抱えるあなたへ <ジョン・レノンの人生に学ぶ> 幼少期からデビュー前まで 編 】
*「ザ・ビートルズ」という「熱狂の時代」*
+ファブ フォーの精神面を中心に観察していきます。+
・1962年10月デビュー〜1963年には英国でトップスターに!
:初期のツアー活動は、他のミュージシャンと一緒で、次第にその舞台のメインになっていく、
という自分たちの夢が叶っていく圧倒的な喜びに包まれていました。

(63年に前妻のシンシアとの間にジュリアン君誕生!その3週間後に、ブライアンとジョンはスペイン旅行へ行っている。
;家族から離れてしまうことがちょっと気になりますね。(他の3人はスペインのリゾート地へ))
・世界的「ビートルマニア」の誕生。
:1964年アメリカ上陸『エド・サリヴァン・ショー』7300万人が視聴〜
チャートの1位〜5位を独占 〜 世界的「ビートルマニア」の誕生。

・爆発的な成功の嬉しさ〜世界制覇の達成感〜歓喜と高揚感
:リヴァプールの労働者階級出身の若者が、英国、そして1964年にはアメリカを征服した歓喜はどうだったのでしょうね!
:大歓声を浴び、演奏する純粋な喜び:大歓声を浴び、自分たちの音楽が世界を動かしているという全能感と、4人の強い連帯感。
>過密なスケジュールをこなしていたけど、LP「フォーセール」の時には、
半分はカバー曲だったことからも、忙しすぎて作曲が追いつかない状況でした。
:前半2年は過酷なスケジュールの中でも、4人は持ち前のユーモアで互いを笑わせ合い、まだ無邪気に楽しんでいたのでしょう?:移動中のバスの中でも作曲をしていたそうです。
・1965年 NY「シェア・スタジアム」世界初の巨大コンサート!〜しかし、この頃から大歓声による「音響の限界」が深刻化。。。
:ファンの絶叫が凄まじすぎて、ステージ上のメンバーには自分たちの演奏や歌声が一切聞こえなくなり。。。
・1966年に入ると、皮肉を交えたユーモアコメントが次第にアダに。。。
:キリスト発言の炎上=ジョンの「キリストよりポピュラー」発言で誤解〜レコード焼き討ちや爆破脅迫に発展。
:フィリピン事件=フィリピン公演、大統領夫人との昼食会を断ったとして
〜暴行寸前の目に遭うなど、自分達の思いとは違ってコントロールが効かないことを感じることに。。。
=ツアー移動自体が、命がけの危険なものに変わっていった。
・1966年6月に初来日し、厳戒態勢の日本武道館で公演、
:過酷なコンサートツアーにプラス、
+年間2つアルバムと4つシングルの「過酷な契約」、TV番組、映画2本、、、
=「異常な超過密スケジュール」による心身の限界。
・常に監視されて人間性と自由の完全な喪失感、ホテルの部屋という精神的な閉塞感、
:自分が「人間」ではなく「商品(見世物)」として扱われている。
:ジョン・レノンは後に(コンサートでは、どれだけ下手な演奏をしても観客が叫ぶため)
「ビートルズの演奏は:ただのショーになり下がり、音楽的には死んでいた」と語っています。
・熱狂とその反動で、命の危険と恐怖さえも感じるように。。。
>ライブへの強い拒絶
:特にジョンとジョージ・ハリスンは「もう二度とツアーはしたくない。死にたくない」と強く主張するようになりました。
:ポール・マッカートニーはライブ活動の継続を望んでいましたが、
1966年夏の惨状を見て、ついに中止に同意します。
*精神的な成長〜アイドルからの脱皮(ジョン26歳、ポール25歳)
:ボブディランなど、ほかのアーティストと接触する機会が増えて、刺激をもらう。
:スタジオ機材も向上してくる。
>「音楽の芸術性が向上」<
*ビートルズの最大の強み=より良い作品を生み出したい創造欲求が、向上心が、4人を繋いでいた。
:複雑なスタジオ録音の楽曲制作に傾倒〜ライブで再現不可能な楽曲が増える。
*8月29日の公演を最後に『コンサートツアー活動の終了』を電撃決定となる。
=忙殺されるようなスケジュールの中、心身のストレスも限界だったのでしょう。
;「悲鳴の中で古いヒット曲を演奏するだけの操り人形」になることを拒絶し、
安心して熱中できるスタジオに籠もる道を選んだ。
という流れですね。

>自分達のクリエイティブな表現が多くの人たちに賞賛され、
世界の文化にまで影響を与えるくらいの大スターへ駆け上り、
とても高い評価と名声を得た達成感、高揚感の「大きな喜び」と、
その反面、
熱狂するファンと権威に群がる人たち監視される「不自由さ」や、
自分達ではコントロールできない影響の恐怖など、心身の限界(バンドの危機も)という、
:「とても多くのストレス」も、感じることになって行ったのですね。
夢の実現後;目標を達成してしまった「葛藤と崩壊する不安感」の苦悩
・コンサートツアーから解放されたジョンは、急にできた自由な時間に戸惑い、
一種の「燃え尽き症候群(鬱状態)」に陥っていたとか?
>その不安感から「自分の新しい可能性を探るため」なのか?
:レスター監督からの誘いで、
映画『僕の戦争』(ブラックコメディ映画’66年9月〜11月撮影)に、
ジョンは一人の俳優として参加しています。
・1966年11月友人に誘われて訪れたヨーコの個展(ロンドンの画廊)で出会う。
(:新しい可能性と楽曲制作の「クリエイティブな刺激をもらった出会い」でしょうね。)
(:のちに、二人は一つの魂だと感じるくらいの関係になっていきます。)
◉スタジオでの創作活動の光と影:エプスタインの死〜そしてインドへ。
1967年
・6月:実験的サウンドで世界初のコンセプトアルバム『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band 』
・25日:世界初の人工衛星を使った国際共同TV番組『アワ・ワールド』に、イギリス代表として出演。
新曲『愛こそはすべて(All You Need Is Love)』演奏
:アルバムがロック音楽の歴史において「ポップスを芸術の域に高めた最高傑作」として不動の評価を得ることに!
(サイケデリック文化や当時の若者たちの精神世界のカウンター・カルチャーとの共鳴と!)
<ブライアン・エプスタインの突然の死>
*スタジオでの活動も充実の中、マネージャーのブライアンとの距離が離れた感じになっていたようです。
・8月インドの霊的指導者マハリシ・ヨーギーの「超越瞑想(TM)」を学ぶセミナーに参加。
:その受講中に、デビュー前から4人を支え続けた
マネージャーのブライアン・エプスタインが、
鎮静剤、睡眠薬などの薬物(+アルコール)の過剰摂取で『急死』。。。
・ブライアンは、ユダヤ人で、ゲイ(当時の英国は取締の対象)であったことの苦悩
・NENS社にいたタレントのマネージメントもありビートルズ同様に超多忙。
・コンサート活動を中止し疎遠になっていたビートルズの5年契約の更新の時期の不安感も?
▶︎マネージャーの重圧など、精神的なストレスからオーバードーズを繰り返していたのですね。
(:ビートルズのメンバーも、信頼しているから親しみを込めてこその、他から見ると生意気な態度で施していた面もあった。)
(:ジョンはブライアンがゲイであることをジョークでふざけていたとか。。。)

映画「ブライアンエプスタイン」
*無名の若者のバンドを世界のスーパースターにしたマネージャーであり、
信頼できる兄的まとめ役の大人 〜 そんなバンドの支柱を失うことに。。。
◉ブライアンという支柱を失った後の「挫折と亀裂」
:コンサート活動がなくなった喪失感が一番強かったポールがビートルズをまとめようととしていたのね。
・ビートルズ自主企画制作のTV映画『マジカル・ミステリー・ツアー』
:「ビートルズ3作目の映画制作はどうする??」から
ポールの案で、4月には企画されていた 〜
〜「色々なこと」があって頓挫 〜 9月から再開。。。
= 映画は酷評、、、『初めての挫折感』を味わうことに。。。
*1968年1月に、Apple Corps Ltd.(アップル・コアズ)設立
:ブライアンがやっていた仕事を「自分達でなんとかしなければ」と、ブティック経営も・・・。。。
・高額な税金(最高税率は9割以上=日本には負けるけど英国も税金大国だ!)に悩まされていました。
・投資によって税金を抑えつつ、自分たちのビジネスや「著作権を自主管理」するために会社を作りました。
・ビートルズのメンバー(特にポール・マッカートニー)は、
:若い才能への支援
「若いアーティストが自由にレコードや映画を作れるユートピアのような会社にしたい」という理想を掲げていました。
*1968年2月に、4人は、心の平安を求めて;インド・リシケシュの施設(アシュラム)に滞在

・超越瞑想を学ぶためのスピリチュアルなリトリート
:喧騒から離れたこの環境で、スタジオの機械からも離れて、アコースティックに、
>瞑想を取り入れた生活から、心の内面へ意識が向くことに。
〜創作意識が刺激される
:また、4人はこの瞑想経験から、自立意識を育てることにもなり、
>それぞれの才能の可能性へ向かう活動のきっかけにもなっていく。
(:ジョージがインドのシタール楽器を取り入れる。)
・1968年11月『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』
:インドの瞑想体験によってできた曲などを集めた一年ぶりの制作
〜2枚組のアルバムに。
(年に2枚アルバムを制作する契約があったから?)
ビートルズという偉大なバンドへの「執着と葛藤」
:ジョンはバンドのリーダーであり、
4人が一体となっている状態に強く依存していました。
(ジョンだけではないよね。)
〜メンバーたちと、バンドを取り囲む人たちへの「責任」もありますね。
だからこそ、
:コンサート活動を中止したのちに、
信頼するブライアン・エプスタイン(マネージャー)の死や、
メンバーの精神的自立によって、
バンドの結束が崩れるかのように感じた時は、
>ジョンは「家族がまた崩壊する」のような
不安感に襲われたようだったのではないでしょうか?
:一番危機感を感じていたのは、ライブ活動が好きなポールかもしれない?
:マジカルミステリーツアーの企画あたりから、
「新しいことを生み出す企画を考えバンドをまとめなければ?、
それぞれ新しい活動をして、4人が離れてしまうかも?」と、、、
BUT 〜 音楽以外の企画や、会社経営はプロではなかった。。。
そんな時なので、オノ・ヨーコさんとの関係が深まっていったのでしょうか?
次回のブログの続きは
<ビートルズの解散〜オノ・ヨーコとの時代〜そして依存症 編>
という内容でブログを書いています。
しばしお待ちください!
<過去のブログもご参照ください👇をクリック>
人間関係の悩みがある大人に大切な『アタッチメントと愛着障害』について❣️


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カテゴリー: アタッチメント:愛着障害について ブログ
このブログを書いた人
「魂が喜ぶ魔法のキネシオロジー」ヒーリングサロン「青い空の氣」曲尾幹夫(まがりお みきお)
50歳まで、グラフィックデザイナーをしてました。
辛い苦しい人生の転機「中年の危機」を、自ら経験しキネシオロジーに出会い、心理学を学び、克服し、
生きかたを変えた経験から、
あなたの愛する人生を
『本来のあなたの輝きで、明るい笑顔にします!』
を使命として!
悩み苦しみの中にいる40代:
特に「ミッドライフクライシス:中年の危機」を乗り越える応援をしています。
キネシオロジー:
心理カウンセリング&ヒーリングセラピー
・インテグレート ヒーリング
・シンギングリン(音響療法)
・クラニオセイクラルセラピー
・箱庭アートプレイセラピー
他
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