曲尾 幹夫(まがりお みきお)

東京葛飾 ヒーリングサロン
「青い空の氣」
心理ワークとヒーリングセラピー
「魂が喜ぶ魔法のキネシオロジー」

無料カウンセリング

人見知りでコミュニケーションが苦手、これだと思える適職、やりがい生きがい才能発見、心から分かり合える友人や恋人、そうゆう人達の繋がり、、、ピンときたらご連絡ください↓

欲望のバブル「世の中おかしい狂ってる!」心も身体も壊れた

周りの人がそうしているのだから、自分もそうしなければいけない。」という思い込みがありました。

(長いので早く読みたい人は太字で!)

「魂が喜ぶ魔法のキネシオロジー」ヒーリングサロン「青い空の氣」曲尾幹夫

はバブルと言われた頃から50才まで、デザイナーをしていました。

多摩美術大学グラフィックデザイン科を卒業して、初め「ディスプレイデザイン」の仕事を1年間やりました。まだ百貨店が花盛りで、CMで「おいしい生活」と言われた頃です!

その舞台裏は、飾っていた装飾品、マネキン、展示什器までもが、清掃トラック何台かで、バンバン捨てられていきました。びっくりして「えぁ?俺はゴミ創っているのか?!」興ざめしました。アートが好きだったしディスプレイオブジェを創りたかったのだけども、一年でやめて、グラフックデザイナーへ転職。昔の麻布十番にあったデザイン事務所につとめたのです。始発で家へ帰る六本木の早朝は、うかれた酔っぱらいに外人さんと、路上には誰かが創ったフライヤーやリーフレット「欲望の広告チラシが風に舞、きたね街だ!ゴミと一緒にお札も混じっていそうだなぁ?」すごかったのを覚えています。

その頃、仕事がありあまっていたのです。「毎日残業で終電、たまに徹夜で泊まり」の生活。学生の頃に「デザイナーはとにかく忙しい」と聞いていたので、「仕事ってこんなものかな?」と、若いから全く平気だ。内心「くそ〜!」と感じながら。。。「なんかおかしいな?異常だな?」うっすら感じていたと思います。でも当時「バブル」という言葉は知らなかった。それでも我慢して、働いていたのです。それで、『椎間板ヘルニア』になりました。この頃は、「たいしたことない、若いから必ず治る」と思っていました。

今思うとバカだった『仕事より体の方が大事ですよね!』もっと体を愛すべきでした。この椎間板ヘルニアは、「痛みにたえる長い付き合い」になって行きます。

残業、徹夜の「身体のストレス」もすごかったですが、「心のストレス」も大きかったのです。

「一生このまま、仕事以外何も出来ねぇじゃねーか、くそ〜!!つぶされる〜!」という不安と不快感。「世の中おかしい狂ってる!」と感じながらも、「周りの人がそうしているのだから、自分もそうしなければいけない。」という思い込みがあったのです。(日本人的?)仕事の途中に病院へ行き、またもどって残業していました。

「世の中どうかしているでしょ?」社会の矛盾を感じていた。

「子供の頃」

が幼い頃、住んでいる葛飾区青砥は、家の周りは原っぱが多かった。バッタ、カマキリ、ミツバチ、カナヘビ、カエル、トンボ、蝶と、今じゃ考えられないです。でも小学何年生からか?「光化学スモック注意報」がよく町に放送が流れてはじめました。

フ◯ンタグレープなど合成着色料(チクロ)の紫色が、無色のゴールデングレープになりました。夕方まで遊んだ後に友達と笑いながら「フ◯ンタ」を飲んでいました。なので、良く覚えています。それって今までは大丈夫だったのか?(まだ「おいしい生活」と言われてなかった?)

1963年生まれ、ビートルズが大好きなので、憧れの60’sですが、高度成長、総中流意識の時代、あっという間に、住宅街になりました。「公害や川のヘドロ汚染」:映画「ゴジラVSヘドラ」(ゴジラやガメラ大好きです)複合汚染、水俣の喘息、イタイイタイ病、、、

ニュースには流れていたけど、大人は景気が順調でみんなで傍観者だっだの?レイチェル・カーソン「沈黙の春」もこの頃、政治家はいつまで「沈黙」しているのか?この頃も子供なので無意識的に「この矛盾」をなんでだろう?と感じていたと思います。

「美大の学生時代」

ザイン科なのに「現代美術」にとりつかれ、アートアートと言っていた。ウォーホル、デュシャン、ボイス、パイク、オノ・ヨーコ、もの派・etc.いっぱい影響を受けました。『価値観は自由だ!』『自由にな〜れ!』浅くですが「精神世界」や「禅」とかの興味も、「すべては、すべてに関わっている」=「へ〜なんかかっこいい!」てなくらいです。

美大の頃は、「バブル様様」で、現代美術も大盛り上がりでした。「陽あれば陰あり」儲かりすぎたお金の脱税対策でアートが高値で売買されていて、ゴッホの「ひまわり」がある企業が55億円で購入し話題になっていた。土地が金もうけの対象で「地上げ屋」ってのがいて、土地の値段を引き上げていた。表参道に現代美術館が建ったと思ったら無くなった。

;その価値観の異常さをアイロニカルな表現で、日比谷公園内でグループ展しました。自分の感じたことを活き活き表現して、観てもらいに来て嬉しくて、楽しくて充実していた。卒業制作は、グラフィックデザイン科なのに、現代美術「映像を取り込んだ造形インスタレーション作品」です。

グラフックデザインの仕事していた頃にもどして、

家が「自宅を立て替える」ことになります。その話を聞いたとたんイメージが〜!『家と土地:丸ごと使って表現したく成り』、仕事づけに嫌気がしていたし、バブルなので仕事が有り余っているので、デザイン経験したから、もう仕事は一生大丈夫と思えていた。〜「解体する家を1ヶ月私に貸してくださいと親に頭を下げて」「躊躇せず」仕事をやめました。

解体するまでの1ヶ月間を作品制作して〜「家丸ごと」の個展です。

・・その作品についてザックリ言うと・・

タイトル:『痕跡と狭間』

家には住んでいた人の歴史と痕跡がある。住むのをやめた時、大地の上には、ただの物質が有るだけ、その泡(バブル)のように消え無くなるまでの狭間は「無価値」なのか?その瞬間のような住居跡に作品表現をしてみました!(表現したものと共に、生活していた古びや汚れ、子供の頃の落書きなども魅せる。)

その中の一つの写真です!(詳しくはブログへ)

『痕跡と狭間』

自分のイメージしたことを、住居丸ごとで表現!血湧き肉躍る感覚!細胞が喜んで、楽しくて快感!です。

「世間一般の価値観:観方を変えて!感じてみろ!」「世の中の矛盾を疑え〜!・・・!」
『価値観は自由だよ!』『自由にな〜れ!』です!

作品表現は、自分のイメージしたことを、住居丸ごとで表現!血湧き肉躍る感覚!細胞が喜んで、楽しくて快感!です。 (友人には「いきなり大作家に成ろうとしているんじゃないの?」と言われたな(笑;/~ )

こんな経験をしたので、その後…

術家をめざし作品創るぞー!と意気込みながらデザイナーのフリーター時代です。

働き方を考えました、週に4日だけ働かせていただける所へ、まだバブルの名残で、仕事はいっぱいあったのです。

日本の大手企業が海外の相手企業に贈る、飛び出す絵本のような立体のカードなども創る、楽しいグリーティングカードの製造メーカー内の商品企画とデザインです。

作品制作は他の日にしていましたが、椎間板ヘルニアなのに、またがんばりすぎてしまいます。

展覧会に向けて仕事が終わってから制作、間に合わせるのにやっぱり徹夜です。学生の頃から徹夜していたし、若かったので身体は、平気だと思っていた。「なんとかしてやる〜!」って、ヒステリックなモチベーションだった。思い出すと恐怖です!仕事に行くのに痛みでびっこ引いていて、たまに痛くて立ち止まって。。。『椎間板ヘルニアが悪化』そうとう痛いのに重たい作品搬入搬出したりで、ついに、寝ていてもちょっと動くだけでも悲鳴を上げる痛さで動けなくなりました。

重症の椎間板ヘルニアで、氣持ちの腰も折れる。。。

症の椎間板ヘルニアで、「痛くて動けね〜!死にそうに痛い!」と、痛み止めの座薬を入れながらの二ヶ月間の安静治療の入院でした。医者に「椎間板ヘルニアは治りません、一生上手に付き合っていかないとね。」と言われた時は、「え!ガーン!」ショックだった!

「そんなこと医者が言うな!」って思った。(西洋医学者の罪)(代替療法やキネシオロジーのセラピストはこんな事は言いません!)(&:入院中に読んだ本「人間を幸福にしに日本というシステム」:カレル・ウォルフレン著)

再発しないように二ヶ月自宅療養の後やっと復帰、日常的に痛みとつき合うことに成ります。この痛みが、制作の氣持ちの腰をおりモチベーションが無くなってきたかと思える。

デザイナーのフリーター時代の後半は、時間だけが過ぎて行く、作品創らない〜、氣持ちもゆる〜い状態になって行きました。作品制作する氣持ちがゆるんでいても、クリエイティブな仕事をしていたので満足していたし「そのうちやるさ」のような甘い自分に流されていて、時間が過ぎて行きました。

この会社に正社員で就職することもできたのですが。。。

大失恋から現実を直視、再就職そして「挫折感と大きな劣等感」と
「生きている感じがしていなかった40代」

んな中、彼女の誕生日のお祝いのレストランで、プレゼントの袋の中に彼女の好きな黄色の花の大きな花束をしこみ、プロポーズしようとして、「思いっきり大失恋。。。」まわりの視線、凍りついた、胸にぽっかり風穴があきました。

「正社員で働いてないと駄目か?」「ボーと生きてんじゃねーよ!」いきなり現実を直面させられることになります。「失恋とのWショック!」です。

当然「将来の不安に、情けない自分と挫折感で、いっぱい。。。」で、やっと踏ん切りがつき、とにかく普通に就職しようと決めます。

ところが世の中とっくに「失われた10年」の不況の時代。年齢の事も有り転職に苦労します。一度就職してまた転職、そしてやっとできた就職です。デザインではない仕事も受け入れなければならない中小企業のメーカー内のデザイナーで、仕事の内容にも恵まれません。いいデザインや企画を見せても、とても保守的で理解してもらえず悔しい思いをします。

「人見知り」なので初めは大人しく言うことを聞いていましたが、「言いなりではだめだ!しっかり主張して説明しなくては!」聞き入れてもらえないとしだいに感情的になってしまいます。そうなると逆効果なのですね。なんとかいいデザインをして仕事が増えるように頑張っているのに、わかりやすく説明しても「なんで解らないんだ〜腹たつ!」となっていた。

学生の頃の友人には、仕事のいいところだけ話していました。会うのが嫌でした。それは「大きな劣等感」と、今なら解ります。

それでも仕事は頑張っていたので、熱意も伝わり着実に内容のいい仕事を増やすことができて来ました。

ですが「リーマンショック」そして3・11です。順調だった仕事が突然減ってきます。さらに職場の営業上司とのコミュニケーションがうまくいかず不満、同僚のデザイナーとは毎日険悪な状態、人間関係にも疲れるし不快だった。デザインプロダクションに比べれば、仕事は楽だと自分を納得させて、とにかく収入のために我慢して仕事をしていました。

それでも、「本当にこのままこの仕事を続けていて良いのだろうか?」収入のため、生活の為に「妥協した生き方なのでは?」と感じながら。

「定年まで我慢か?できるわけね〜だろ!」「それは嫌だ、でも。。。」と、迷いながら時間が過ぎていきました。

どうするか決断する勇気がなく、「なんか生きている感じがしない。。。」妥協して情けない、底辺のような暗〜いどんよりとした感じの中にいました。

「生きている感じがしていなかった40代」

氣功、ブレインヨガ、少し光がさしてきます。

のストレス」と「身体をしっかりさせるため」に、スポーツをしたかったのですが、椎間板ヘルニア痛があり体に「不安」が有りましたので、「氣功」と「イルチブレインヨガ」を始めることにしました。これが良かったです!

身体のために始めたのですが『精神や心』を学ぶ「今」につながっています!氣功は「禅密氣功」に出会います。身体を動かして氣を養う導引術(内氣功)、上級に行くに従って瞑想的氣功になっていきます。心も安定して、身体の不調も整っていきます。

先生の「氣を感じている状態」の説明で

=『夏の長期休日の朝に、周りには深い緑に囲まれた湖のほとりを散歩している時、ふと見上げると『雲ひとつない無限に広がっていくような青い空」を、なにげなく眺めているときに、「あ~いいな~、氣持ちが落ち着くな〜、ほっとするな〜」と、そんな体全身に満ちてくる「氣の感じ」を見守るっているような状態です。』と、おっしゃられた時に、実感とともに、イメージが浮かび、解りやすく腑に落ちた感じが有りました。「そうです!」後に「青い空の氣」のサロン名とサロンのコンセプトになりました。

そして、「イルチブレインヨガ」は、精神的な指導も盛んで特別講座や、積極的に開催するイベントにスタッフとして参加し、悟りや自己啓発的なことを学びました。仕事の帰りに、週2回くらいは通って汗を流した後に瞑想して呼吸が深く整うと仕事のストレスが薄れて、そこで出来た友人と飲みにいったり、特別メニューを一緒に参加して、有意義な時間を取り戻していきました。

このことで、仕事の悩みや不満ストレスから、すくわれていたのです。(:ストレスの多い人は、特に「ヨガや氣功」をおすすめします。基本は食事と「運動」です!)

創業者の言葉

  • この身体は私ではなく私の物だ。つねに目覚めていましょう、そして脳の主になりましょう。
  • 身体、意識、魂の主は「私です」そうゆう生き方を選択しましょう。
  • 選択すれば成し遂げられる。
  • これからは物質文明から「精神文明の時代」です。

など、少なからず影響を受けています。

「氣功やヨガ」は、やっていると、周りの人にも「いいよって」薦めたくなり、教えたくなるのです!

人間ってそうなのかもしれませんね、まず自分がやって「いいね!」と感じて良くなってくると、人にすすめたくなるし、人に良さを分けてあげたくなるのが「人を癒すこと」にも興味が出てくるのですね。

▶このヨガを習い始めの頃、院長先生にレッスンの後、何か解らずセラピーをやって頂いていました。後に学ぶことに成る「クラニオセイクラルバイオダイナミクス」でした。まだデザイナーで、自分がやるように成るとは?想像もしてない頃です。この時そのヨガの先生に、「曲尾さんは、氣功を教えるか?ヒーリングする人になるような気がするの?」と、不思議にも予言めいたことを言われたのを覚えています。

氣功、ブレインヨガ、少し光が

人に教えたくなる。癒したくなる。そして、キネシオロジーへの出会い!

功」がそうでした:「10人集める」を目標に!通りすがりの方自由参加(ボランティア)で、上野公園「青空氣功練習会」を月に1、2回、同じ仲間がほとんどでしたが約2年続けました。多くの人に呼びかけましたが、人はそう簡単には集まってくれません。

ですが、2年間で一回だけですが、12人になったことがあります。2人から初めて『目標は達成』されました!

少しだけ、「続けることで結果が伴う、継続が力になる」を感じました。このような「行動力と活動」が、この時の「暗い自分を救ってくれていた」のです!

それから、なんとなくですが、周りの人にヒーリングをする氣功(外氣功)に興味が出てきて、一義流「氣功治療開業コース」を学び始めました。(この頃から、無意識的にデザインの仕事から、離れたかったのかも?)

その中に、「腕押し」(筋肉反射テスト)=『キネシオロジー』=に出会うことに!『潜在意識の反応?何だ?これは!』(#やっと出た#(笑/~))この先生は早く開業へ向けて「行動した方が良いよ」と言っていましたが、「そんな簡単なわけないでしょ?」と疑っていました。ですが、なんか面白いので会社に勤めながら通っていました。

そんな中、

父が体調不良を訴え心臓で入院、そして大変な手術(心臓のバイパスを2本)です。とても心配で、うゎ〜と重たい闇に覆われる「親が死にかけている恐怖」です。もう高齢で、まさかこんな大変な手術に成ってしまって、本当に苦しそうで、つらそうにしている父を見舞いに、病院へ通いながら、「あ〜どうなるのだろう」父の介護の必要を感じ始め、「覚悟しておかないと?」「自宅で仕事をする必要になってくるかな?」と思いました。

職場に不満があるのだから「これを機にやめるか?どうする?」それでも、「収入が無くなると恐いな?」と、しばらく職場を辞めるのは、勇気が出せずに迷っていました。

悪いことは重なるのか?〜職場を退社

リーマンショックで業績が落ちていたのを、上司や営業からの営業不振をデザイン室の評価を理由にされていたずるさを感じ、職場では人間関係がうまく築けず、後輩にあたる同僚との関係が悪化、社長から下につくようにと言われ、「腹立つ〜くそう!何で俺が?」そのケンカしていた同僚との立場が逆転することにプライドも最悪でどん底に、職場で心が壊れそうになり。。。そして、や〜っと、勇気をだせて、職場を退社することができました。

やめると決めたら「スッキリした気持ち」で、「なんでもっと早く行動しなかったのだ〜?!」と逆に後悔です。

40代は「収入のために我慢をして働くのはしょうがないことだ。仕事は我慢するものだ。」と自分を納得させて、イライラするし「本当に生きている気がしなかった」気持ちが暗くなるし、どんよりとしたモヤの中にいたのですね。まさに『中年の危機』真っ只中でした。

でも、今考えると、『辛い思いをしたのにも「意味があった」のだ』と感じています。同じような思いをしている人の「気持ちを深く共感」ができます。これは今の私にとっては「財産」ですし、起業の当面の運転資金の貯金もできていました。

*それらは*

  • 辛い椎間板ヘルニアがあったから、ヨガや気功に出会うことができました。
  • 失恋は、そのつらい氣持ちと、あまかった自分と現実を直視することができたし。
  • 就職し40代の人間関係の痛み苦しみを味わう経験ができました。
  • 険悪だった同僚がいたから、プライドが傷つく辛い体験ができて、辞める勇気を出させてもらえたのです。

このような出来事は、引き寄せられているのではないかと感じる位、「今の自分」につながっているのです。(必ず、この世の中は光があれば影ができるし、影の中にも光はあるのです。そして『人生での出来事には必ず「意味」があるのです』ね!)

「中年の危機」の辛い試練はまだまだつづきます。

あ「自宅で仕事をしよう!」それには、当然デザインをやっていたので、フリーのデザイナーをやればいいのですが?心からデザイナーをやる氣が起きません?。

仕事をもらいに企業に売り込み、友人だって大手広告代理店にもいます。ホームページつくって?メール出して?、、、、特に「営業する」氣持ちが持てません。

* * *
:今思うと「出来なかった」のです。心理カウンセリングを学ぶことでわかってきたことで、この頃の私には、営業するなんて無理だったと言えます。でも自分のことなのに自覚がなく、解ってなかったです。『その内容は後半に書いています』
* * *

「カオナシ」について。

カオナシ

怒り悲しみ恐怖など、感情を奥に押し込めていると千と千尋の「カオナシ」のように成ってしまったサラリーマンは、「心(魂)と身体と感情が、分離してしまっている人」がほとんどなのです。本人は解っていないのですね。

都市とは人間の我欲が創った造形物です。そんな社会の矛盾に目をつぶって、感情を押し殺して生活する「カオナシ」、、、そんなプチうつのサラリーマンは、ドロドロの汚い我欲の下に、不快な感情を押沈めて本音の氣持ちを伝える言葉を失うのです。

かといって、都会で平然と生きる人間が正常なのか?都会の人間社会で暮らすには、そうとう鈍感でなければ生きづらいのかも?風俗にギャンブル、酒飲んでウサはらしてやってもストレスが増すばかり、感情殺して「病気」に、人を殴ってしまって「犯罪」に、うつに成ってしまう人、自殺してしまう人、学習障害発達障害や、HSP(人一倍敏感すぎる気質)と言われるタイプ、そういう人達がおかしいのかどうなのか?「どこに問題があるのでしょうか?」どう思いますか?

子供の頃からの「社会の矛盾」が思い出される

・・・少しだけ矛盾と自由のお話を・・・

ザインは、企業から仕事をいただきます。企業は利潤追求で、経済至上主義です(全てとは言いませんが?)「日本は官僚と政治家と企業悪の国だと、、、」椎間板ヘルニア入院の時に、読んだ本に「人間を幸福にしない日本というシステム」にかかれていました。

『もうそうゆうことはやめないといけません!!』

『そんな所からお金をもらっているやつが、いくら表現や主張しても、だれも聴いてくれないでしょう!』という自己矛盾を感じている思いがあった。

*例えば*

  • 原発反対!と言って主張している人が、都市の電気を使っていたら矛盾ですね。
  • 「ちょっとでも健康にいいとは思えない」って感じている食品を、収入のために仕方がないと言って、まことしやかに健康になりますって広告デザインしていたら、その人のこと「どうなの?」って思いますよね!

矛盾している〜それならば!まずは「私が変わります!」と自分自身に宣言だ!と思っていました。「これも真実」です。

現代美術の造形表現として;「世の中、矛盾しているぞ〜、価値観は自由だよ!と表現したかった?!〜今でも?!」がありました。

「自由」と言う言葉も3つ意味があります
  • ×自分勝手にやる自由という意味もあれば、
  • ×フリーダム(規則や属したものから)の自由という言葉もありますが、
  • ○自らの中から感じ生じた考えで生きている状態も自由=『 自ずからゆえ(由) 』;禅の鈴木大拙氏の本「鈴木大拙の言葉ー世界人としての日本人」から影響を受けたりしています。
自己が、これは違う間違っているよな!と感じているけど、周りに流されていたり、我慢したり、そうでない生き方をしていたらそれは自由ではないのです。
また、自己の心の中から生じたことからありのままに行動しているのであるならば、どのような環境下で、何をしていようとそれは自由なのです。
>自己矛盾と社会の矛盾とは関係しています:「あなたも」<

『物質文明から精神文明の時代に変わらなければって、たぶん、人はなんとなくは感じていることで、「3・11」から、やっと多くの人が感じ始めて来たようです。』

スピリチュアルだけだった「アセンション」という言葉も少しずつ知れ渡り、意識が変わり始めた人が出てきています。意識が変わると、引き寄せる情報が変わってきます。思考も変わってきて行動も変わってきます。結果も変わってきて自分のまわりの世界感も変わって来ると、さらに意識が上昇するのでしょう。

「キネシオロジー」を学び始めて、「心の問題を自覚する」ことに!

話をもどして

の「腕押し」は、どう学べばいいのか?Net検索し、斉藤慶太さんの横浜で最後のセミナーがあることを知って、「あ!申し込まなくては!」と飛び込みました。

『キネシオロジー;すごい!おもしろい!なんで体は反応して教えてくれるのだろうか?潜在意識の世界?神秘的でもあり、すごいな〜これは!』基礎から「タッチフォーヘルス」他も、一気に受講しました。

基本キネシオロジーのセッションは「目標設定カウンセリング」が中心です。この時、「これからのビジョン」を聴かれた時に、なんとも大胆に、『私は、キネシオロジーで開業します。』と宣言していました。

むちゃくちゃ無謀ですよね!今でもそう思う(笑;~)ですが「行動」してきました。そして、とてもとても苦労しました。でも「なぜでしょう?」不思議なことに「目標は達成」しています。

>自分の心の問題を自覚することに!<

セミナー受講の終わりなどに「感想のサークルシェア」をするのですが、とても「緊張している自分」を感じました。「脇汗でびっしょりだ?」こんなのは初めてです。

キネシオロジーのセッションは、自分の悩みや問題をテーマに目標設定カウンセリングをします。その感じたことをみんなの前で話をするときに、うまく話せません。今まで自分は「人見知り」くらいにしか感じていなかったことが、人前で話をする時に緊張する。緊張で脇汗が凄い、「なんで?」と思って動揺すると余計に緊張する。

そして、人の輪に入って行けないのも感じた、不快な感じを実感させられたのです。それを意識し始めてから、人の輪の中で自分の体が「ブ〜と嫌なノイズ波長波動」を放っている感じを自覚しだします。ますます不快感と緊張になって行きました。「いやだな、不快だな、どうしてだろう、氣が弱いのだろうか?」「カッコ悪いし、周りには、弱い自分を気づかれたくない、、、」

このセミナーの受講中は「居場所がない感じ」で、人との関係でなんか嫌だなという思いがありながら受講していました。(嫌な人がいたというわけではないのです)大丈夫なふりしながら、人との関係で「打ちとけられない壁などの悩み」を自覚し始めることになるのです。

30代は、やりたいことで冒険していた、仕事も良かった、楽しめていたし自信もあった。
40代は、人見知りがあるし、多少は人との間に壁がある感じがあったけど気にすることなく、それなりに社会人をやって来ました。
ヨガでも自己啓発的な内容の後のサークルシェア「分かち合い」でもそんなに感じていなかった。
職場でも慣れてくるし、デザイナーは職人的な所があって、営業との分業で成り立っていたからでしょうか?

そう「自覚してなかった?え、この歳になって、大丈夫なふりをしていたのか?」かなりの動揺を感じていたのです。この世界に踏み込んで、自分の『悩みの原因に気づかされて行く』のです!

キネシオロジーのセッションを受けて「効果」を実感!

太さんから、「セラピストはまず自分を解放することからだ!」と言われていたので、セミナーが終わってからすぐに、勧められていたベテランのセラピストの所へ行きました。

今、メインにやっている「 I H =インテグレート ヒーリング」キネシオロジーのセッションを受けました。テーマは「椎間板ヘルニアの痛み」の辛さから始めましたが、カウンセリングなので、セミナー中のお話をして、緊張していて、嫌な感じがあった、なども話しをしたと思います。

そして、しばらくしてから2回目のセッションに行きました。「人前で緊張して、脇汗がいっぱいで、不快な波長を放っている自分がいる」という内容で、セッションしてもらいました。

この後、ブレインジム、NLP、クラニオセイクラルセラピー、などなど、セミナーを受講しまくるのですが、まだ緊張は多少するけど、「脇汗が出るくらい動揺、身体からブーとなっていたノイズ波動の不快感」は消えています。

セッションを受けて直後はふつうです。突然、悩みが解決する訳ではありませんが、「効果があった!」と感じていました。

目標を持って「行動」したことに救われる!

ミナーが終わる頃には、とにかく経験を積まねばと、全く解らずの手探りですが、セミナー中に「¥500ワンコインで、タッチフォーヘルスのモニター体験」の企画を考えて、会場を借りる手配をし募集を始めることにしました。

私一人では人が集まるかも解らないし、一人でやるのが怖かったので、セミナー中に誘っていた仲間2人とです。

身近にいた人に「体験しませんか?」と声をかけたりメールを出したり、誰も来なければ会場費だけが出て行くだけです。私が誘った2人のためにも、とにかくお客様に来てもらわねばという思いで、なんとか予約が入っていました。何も知らなかったのですが、よくやったと思います。

そんな中『父が亡くなりました。ショックです!』

体験会の初日の前日に、「明日から始まりだ!」という時です。

「父の死のショック、悲しさを通り越して頭が真っ白。。。」まさかと思っていたので、突然の失望感です。父はとてもおとなしい人だったので対話が少なく、最後まで「心を開いて接することが出来なかった失望感と後悔の念でいっぱい」身体から血の気が引いて冷たく、悲しいし、ショックでつらい中、葬式をなんとかこなし。。。

初日だけはその友人に任せました。ですが、自分が企画し人を呼んできてもらっていましたので、葬式が済んだ翌週から始めました。 「勇気を持って行動していたことがほんと良かった!」やっていなかったら、「しばらくは悲しみに落ち込んでいた」と思います。たぶん行動に移していなかったでしょう。

自分で企画して責任持って行動し、人を募集する。体験してもらい、良さを知ってもらい、信頼していただく、その始まりでした。

「¥500の小さなことからですが、勇気を持って「行動」していて良かった〜!」ほんと「行動していたこと」に助けられたのです。

* * *

ここからしばらくは上にも書いたように、セミナー受講を受けまくります。

なんせ50才過ぎてからの挑戦です。2年、3年と同時並行的にセミナーを受講し、アップアップしながらもとにかく頑張りました。

今メインでやっているキネシオロジーのセッションの「 I H =インテグレート ヒーリング」「クラニオセイクラル バイオダイナミクス」そして「シンギング・リン」と受講し、練習させてもらい、安い金額で「モニター体験」を受けてもらいました。その繰り返しです。

「なんとかしなければならない〜」という思いでいっぱいでした。安くしている「モニター体験」でも、お客様に来てもらうのは大変です。とにかく数をこなして実力をつけたいのです。来てもらわなければ成長が進みません。

「集客マーケテイング」のことも少しは学びましが、何をどうしたらいいのか解らないのです。「無謀なことをしているのでは?」と思ってしまい、とてもとても不安でした。一人で起業するということは;「迷っていて行動をしなければ一歩も前には進まないのですよね、全てが自己責任で、誰もアドバイスも手を貸してくれるわけではない。」のです。厳しい状況が続いていました。初めの何年間は修行なのだと言い聞かせながら、時間が過ぎて行きます。

料理人は、師匠の下で学びながら下働きをさせてもらうわけですが、私のようなセラピストやヒーラーは、自分で何とかして、悩んで探して自主的に行動して行かなければなりません。

「自立心の弱さを試されている!もっと、どんどん行動しろ!」と、「やりたいと思ったことをやれているし、続けていれば失敗ではない」と言い聞かせながらも、「迷路の中」やっぱり不安で眠れない時もありました。ですが、前職の不快な感情の辛さはないので気持ちはまだ楽だし、そのうちなんとか成ると楽観的だったのが良かったです。

『オープンハートカレッジ』に出会い。やっと、闇の中に光が!!

オープンハートカレッジ』に出会い

ネシオロジーのセッションはセラピーとカウンセリングを同時に行います。

クラニオセイクラルセラピーを学んでいましたが、私はプロの施術家だったわけではない、自分には「心=カウンセリング力」が必要だと感じていたので、「カウンセリング入門」の本をいくつか読みました。ですが、本だけではダメです。「心理学を学ぶ必要がある?!」と感じていた時です。

オープンハートカレッジ(:OHC)に出会います。「必要と思う、やりたいけど!」ですが、OHCは香川県です。新幹線で飛行機?通うの?迷いました。。。金額は?。。。「いい歳をして」「心理学」を学び始めるなんて「どうなんだ???」「道のり長げェ〜〜んじゃねぇの???」とたいへん迷いました。

『迷ったら』:大変な方を選択しろって言いますよね。『選択すれば成し遂げられる』〜覚悟を決めて勇気を出して「とにかく行動」からだ〜!!

OHCを引き寄せて、本当に良かったと思っています。「やっと、闇の中に光がさして来た〜!」という感じでした。

ユングのタイプ論でいうと私は「直感、感情タイプ」です。私のタイプは、劣等機能として「理論」が必要なのです。何もわかっていなかったけど、私の無意識が「必要だ!」と引き寄せたのですね!

「とてもとても親身になって指導していただいています」素晴らしい、ベテランのお二人の先生に大変お世話になっています。

「ほんとう〜に感謝です!」こんな所は2つとないです。

今、OHCのある香川県字多津に月1、2回通って、2年以上過ぎました。(:今年はトランスパーソナル心理学を学んでいます!!)

ですが、そう単純ではなかった

OHCは、生徒が輪になって座り共に学びながら、みんなの前で自分の内面をオープンにしていくことを、実践的にワークを通してやって行きます。

共に成長してく、晩年のカールロジャースがやっていた「エンカウンターグループ」という形式の「カウンセラー養成講座」です。

自分の悩むテーマに向き合いますし、仲間の悩みに向き合う場面にも立ち会うことになります、それも自分に照らし合わせて感じることで、同時に自分の心のケアと学びにもなるのです。

さらに深く自分の内面の弱いところに触れて感じていきます。自分の内面を自己開示して、嫌な部分、隠したい部分をワークを通して、段階を踏んで、さらけ出し、隠すことがなくなると楽になっていくということですが、恥ずかしいし、男なのでかっこつけたく成りますし、抵抗感がありなかなかできづらいのです。

キネシオロジーを学び始めた時に感じた、「人前で話をする時の緊張と、人の輪に入って行きづらい感じ」が、また蘇ってきました。

さらに、「人との関係に壁がある」「これは自分にとってどうしようもないことなのかも?」と不安で一杯になるくらいに実感させられました。

カウンセラーになるための学びなので、本音のフィードバックを受けます。「余計に緊張したり、私はこんなにも人に対して、まだまだ壁や殻があったんだ、、、」自分に「自信がなくなってきているのではないか?」とも感じていました。

「防衛」「抵抗」も強く、(今でもかな?笑;~)なかなか自己開示できなかったりしました。仲間たちとの間にも、何か壁があったりしていました。「エンカウンターグループ」で、理論を学び、その実践のワークを通して徐々にですが、悩みの原因のより深いところの気持ちのまで深めて感じ切ることで、理解して受け入れて、私の場合は徐々に壁のようなものが薄らいで本来の自分で居られるようになってきました。

実際のカウンセリングも相手の方に、辛いけれども、悩みの深い感情を出してもらいながら、向き合ってもらうので、「カウンセラーもそれを体験しておく必要がある」のです。

また、カウンセリングを学ぼうと思うような人は、大抵は自分の中にも悩みがありそれを解決する必要があるので、無意識的に引き寄せられて学びに来るのですね。セラピストはまずは自分をなんとかする所からなのです。

私もこれまで書いてきたように、あっちこっち上がったり下がったり、長い時間かかってしまいました。キネシオロジーのセッションでは「なんとなく効果を感じていた」まででしたが、OHCで「自分の内面を見つめる」ことで、悩みの『根本原因』を知り理解して、受け入れて、いらない思い込みの考えを捨てることができ、そして、新しい信念を取り入れられたのです。

<これとても大事です>また、コツコツと継続して、人との交流を自ら積極的に増やして、場数を踏んだりしながら、人前での緊張も少なくなり、人との間に感じられていた「壁」のようなものもが無くなり、悩みが解決してきたことを実感しました。そして「自信に繋がってきている」そう感じています。

▶ 人は幼児の頃から、生きているうちに周りからの子供がゆえの影響で「洗脳を受けて育ってきている」という言い方ができるくらい、「いらない思い癖、自分を制限してしまう不要な信じ込み」を取り入れてしまいます。

コミュニケーションのほとんどは嫉妬でできているし、ミラーニューロンで脳が勝手に反応してしまうし、複雑だし、簡単ではないです。ですが!

根本原因が理解できれば、悩みの90%は解決できます!!

は美容師経営の母と、部品製造の寡黙な勤め人のの間に「一人っ子」として産まれました。昔で言う「パーマ屋さん」で、産まれる前から、見習いの従業員が住み込みで居る家庭でした。

当時青砥には美容院なんてほとんど無く、とにかく忙しくてかまってもらえません。日曜日、母は働いています。父は休みですが、口数がすくなく、おとなしい人で、私にも深い話をしてくれたことはありませんでした。

「つまらない父親だ」と感じていました。思春期からはバカにしていた所もありました。このことは私に強い男性性、男としての強さ、忍耐力、問題を自分で解決して行く姿勢、自立心を学ぶモデルには成ってくれず、また、人とのコミュニケーション力が苦手な所を受継いでいきます。

一人っ子なので兄弟喧嘩することもなかったし、必ず女性の従業員がいたので、母にあまえるのも躊躇し、くっ付いて愛情をたっぷりに受けて育つということがありませんでした。

このことは、心理学を学んで解って来たことなのですが、友達づくりが下手で、人の輪に入って行くのが苦手、先輩を立てて、後輩の面倒を見るといったことがまったく苦手でした。家で兄弟喧嘩したり仲直りしたりと言った人間関係を創る練習が出来てなかったので、無理はありません。人付き合いで壁をつくらず腹を割ってつき合うことが出来ないのです。

こういった状況で社会等の組織に入って行けば、もの凄いハンデがあるのと同じです。今まで書いて来たように、就職してから上手な人間関係が築けないので、嫌というほど苦労して思い知らされました。

上司によいしょができないし、主張しようとすると親に対するように感情的になってしまうし、同僚や部下に対しても距離を置いた関係しか創れませんでした。

なので、仲間が創れないので職場ではうまくいきませよね。孤独に慣れて一人で行動するのが楽です。認めてもらうためには一人でとにかく成果を出して、頑張るしか出来ないので、身体も壊します。もちろん、恋愛だって上手くいかないのです。

こんなすれ違いで、毎日を送らざるをえなかったとも言えるのです。(若い頃に学べてたらね。。。)

フロイトの精神分析を学んで解ったのですが、父性を家で父から学ぶということが出来てなかったのです。これが社会に出て、人間関係を築く、会社で成果を出して行く、出世して行くのが難しい原因だったのです。

そう!フリーランスでデザインの仕事をもらってくる営業をすることは私には無理だったのですね。

心理学を学べば学ぶほど自分にかけていた、幸せに成る為の必要条件が解ってきました。氣づいた時にはショックでしたし抵抗もありました。

しばらくして客観的に自己を分析してみて受け入れることが出来てくると、弱い所を補いカバーするように向き合って努力する方向に行動して行くことができるように成ってきました。

その根本原因を知って、理解して受け入れて、正しい方法を教えてもらい実践すればいいので、後は時間の問題でした。

正しい心理学を親身になって指導していただけるOHCと先生方に出会えたことはとても幸せなことです。

そして、真っ暗闇の中、「勇気」を持って選択し、諦めずに、香川まで通い「行動」し続けて来た成果です。

自分自身を「良くやった!」とほめてあげることもできています!

私もまだ「防衛」があるのを感じる時があるし、なかなか、それは無意識の世界だし、自己開示は動揺があるし、恥ずかしいしことです。ですが、覚悟して、続けてきていると、人との関係が「楽」になり、話すことが楽しくなり、人にお会いすることが楽しくなってきました。「そう!自分が成長できた」のを実感できています。

「自分自身が経験したことで、自分の成長を感じて、それが自信になり、お客様をより深く共感と理解ができて、それがお客様にも伝わり、ご紹介をしていただけるようになり、好循環になってきています。」

あるセッションでは、仕事から離れることで、やる気を失いちょっと鬱っぽくなっていた元経営者の方ですが、悩みの根本原因を理解して向き合い、いらない考えを手ばなして、以前は出来ていた自分をしっかり実感し「ポジテブな自分を取り戻せました」と実感されていました。やる気が戻りぱっと明るく生き生きした表情に変わる瞬間を目の当たりにして、その姿に、自分も励まされたりしています。

また、 オーディションで緊張してしまって、役がもらえないと言っていた、私と同じように人前で緊張するのを感じていた、俳優の卵さんが、セッションを受けていただき、悩みの原因を知り、そこに向き合い、思考を変えていけるように、その方に合うワークを続けてもらい、次第に自己肯定感を取り戻し、「CMだけど仕事をいただいた」と!喜ばれている報告を受けたりすると。

私も『わ〜、良かった!うれしい〜!』:セッションを通じて「貢献できている」ことが、「本当に嬉しい〜!」のです。

人生の目的意識=「使命感」を手に入れられると『パワー意識』に!

ネシオロジーを学び始めた『開業します宣言』をした頃に、セミナーのワークの中で、自分がさせていただいたことで「喜んでいる、癒されている」と感じてもらっている!その喜びの嬉しさ「初心」を思い返すことができると、「この世界に飛び込んで間違っていなかったんだ!」私は「この仕事に使命を感じられて、そして、この先に自己成長があり、魂の成長につながっているのだ」と感じられている。すると、さらにプラスの力『パワー意識』を感じられているのです!

『目的が使命感』と感じられると、悩みや問題があっても「ポジティブに受け取れて」「どうすればいいかがクリアーで」「アクティブに行動でき」「エネルギッシュに」目的へ力強く邁進できるようになってくるのですね!

本当にやりたいことは何?〜人生の目的は?

お話を聴かせてください

し、あなたに悩みがありなんとかしたい、変わりたいと感じているのであるならば、「迷っていてはもったいない」のです。

私は「変わります」を選択して、「勇気」を持って「行動」してください。大丈夫、あなたは変われます。私もそうでした!

お話を聴かせていただくことから、悩みの原因を知り、ワークをとおして受け入れることができてきます。

そして「根本原因が理解できれば、悩みの90%は解決できます!」解決するということは;悩みの「根本原因」に「ご自身が向き合っていただくこと」なのです。

観たくないかもしれません。それには不安や怖さがあるでしょうし、動揺して心が揺れるかもしれません。つらい氣持ちが出て来たりした時は、キネシオロジーはあなたの身体の反応で教えてくれた、あなたに最適なヒーリングやセラピーをします。同時にやりながらカウンセリングを進めて行きます。

(*「クラニオ〜やシンギング・リン」の「癒し」があります。しっかり寄り添いますので、大丈夫「安心で安全です!」*)また、そのような動揺や怖さなどが、必ず、「それが私には必要だったと感じられる」のです。

そう、「氣づき」がおきて、腑に落ちてくるものが手に入ります!それには心理学の理論をもとに、身体(潜在意識)の反応を使って、悩みの根本原因へ導き、いま最適なセラピーはこれだ!と身体が教えてくれるキネシオロジーのセッションが一番の近道なのです!

そして、その先にある!「あなた」にとっての「真のビジョン」を、「天命、使命」のようなものを手に入れて欲しいのです。

それがわかってきますと=あなたの『天・使』を引き寄せます!「あなたの本来の輝きで、活き活きとした人生になります!」

『あなたもそうなってみたくないですか?!』

愛する人生を『本来のあなたの輝きで生きる』ことを『心』より願っております!!


▶ 9・11〜3・11〜○○法案?原発?テロ〜世界的貧富の格差。『環境問題=人間の問題ですよね』

何年前でしょうか?黒人初のアメリカ大統領が「チェンジ・チェンジ」と言っていたのは?震災や気候変動による災害は地球の叫びのようにも感じませんか?『今、変わろうとしている人もいますよね!』スピリチャルがブームに成りそうだし、魂のレベルは?量子論?神智学?波動を上げる?アセンション?

人類の歴史から観ても、「変わろうとしている」「変わることを迫られている」時代です。

あなた一人でも、明るく輝けば、まわりにも広がります。これは、「人間一人一人がそうなのだと思います!」これを読んだ方の中で『共感』された人がいたら嬉しいです!

月曜の朝が恐怖!?苦手な人間関係、職場の不安と緊張で「心がかなしばり」
何とかしたいけど、
もうこんな歳…と、勇気が出ない40代会社員はどのような解決方法を探しているのでしょうか